彼のこの様子を見た感じだと、あの場所で出会った“彼ら”や、先程の女性と少年の因縁は軽いものではなさそうだった。
「どこで会ったの?」
 キョウヘイは落ち着きを取り戻したのか、再び腰掛け、今度は抑えめの声で尋ねる。
「あ、うん…。セッカシティからソウリュウに向かってくる途中で、変な男たちが女の子に絡んでたから、追っ払ってやったんだよね。なんか奪おうとしてたみたいで…」
「女の子…?まさか…」
 キョウヘイは徐々に表情に不安を募らせる。
「その女の子は、本を抱えてなかった?」
 僕は少女の姿・言動を、覚えている範囲で脳裏に描く。
「ああ…。持ってたと思う。なんか、誰かに届ける途中だったみたいだけど」
「やっぱり…」
 彼は何かを割り切ったように、下を向いて溜息をつく。僕が教えたことと彼がどういった関係にあるのか一切わからないが、少なくとも余りたまいい知らせではないらしい。
「…その子が、どうかしたの?」
「僕の姉が、大切な資料を持って、セッカの先の研究所へ向かったんだ。でも、まさか…」
「…姉…?」
 僕はあの時の情景を思い出しながら話を進めていたが、あることに気付いた。僕が少年の顔を一目見たときに覚えた違和感。それが徐々に形になっていく。
 似ている。薄らとしか覚えていないが、彼女は今目の前にいるこの少年とよく似た顔をしていた。
「君に助けてもらった、その女の子が僕の姉…だと思うんだ」
「…だろうね」
 僕はもう察しがついていたので、別段驚いたりもしなかった。何より気になるのはその続きだった。
「…それで、その連中は何を企んでるの?どうして君ら姉弟にちょっかいを出してくるのさ」
 僕は頭の後ろで両手を組み、背もたれに寄りかかった。
「…奴らは…恐らく…」
 彼の言葉が途切れ途切れになる。言葉にするのを躊躇っているようにも見えるが、そんなに恐ろしいことを奴等は考えているのだろうか。
「…このイッシュの破壊と再生」
「…?」
 彼はそれまで異常に重く低い声でそう告げた。それを聞いた僕も、あまりにスケールが大きすぎて一瞬言葉の意味が頭に巡ってこなかった。
YouTubeに投稿していたポケノベ、こちらに継続して投稿します。

YouTubeに投稿するのはこれからは番外編のみとなります。

というワケで引き続き読んでいただければ幸いです。
7

僕は、ソウリュウシティから隣市までの道程に建っている一つの喫茶店にいた。今は1人ではない。同年代の少年が目の前に着席している。
「あのっ…協力してくれて、本当にありがとう!」
 彼は丁寧に頭を下げ、謝意を示した。もちろん、ソウリュウシティでの騒動に関することだった。
 あの後、上空に突然ヘリが現れ、闘っていた女性を乗せてどこかへ飛び去ってしまった。そして二人で、ポケモンたちの休憩も兼ねて、状況を整理するためにここへやってきた。来る途中彼はなぜか顔を隠すような仕草をし、席も人気のない場所を選んでいたが、僕は気にせず彼の後を着いていくことにした。
「僕、突然の事態に混乱して、わけ分かんなくなって、ポケモンまで闘いで傷つけて、おまけになんか他の人に協力までしてもらっちゃって…情けない」
 少年は自信なさげに頭を垂れる。先程の出来事がよほどショックだったらしい。
「…まあ、別にいいよ。それに、そんなことトレーナーなら誰でもあると思うし」
「うん…」
 慰めのつもりだったが、少年の表情は変わらなかった。それどころかますます先程のことが思い出されて、感傷に耽っているようにも見える。見ていられなかったので、とりあえず何か話題を振ることにした。
「…僕はシュウト、桐崎修人って、いうんだけど…。君は?」
「あ、ごめん!僕は日々谷恭平!キョウヘイでいいよ!」
 少年はふと、思い出したように顔を上げ、名を名乗った。
「…そうか」
 そして僕は改めて少年の顔を真っ直ぐに見た。若干中性的で幼い印象だが、男らしい凛々しさも見える。多少くらい表情をしていてもよく映える顔立ちだった。しかし、どこかで見たような…。
「そういえば君、奴らのと面識があるように見えたけど…もしかしてどこかで会ったの?」
 キョウヘイが思い出したように僕に尋ねてきた。女性との会話を覚えていたのだろう。あまり口外するつもりはなかったが、彼はどうやら無関係ではなさそうなので包み隠さず事実を話すことにした。
「…会ったといえば会ったよ」
 僕がそう言うと、キョウヘイはさらに目を大きく見開き、テーブルに両手をついて立ち上がった。
「それ、詳しく聞かせてくれないか!?」
 男たちが見たのは、ポケモン。名前ももちろん知っている。“ゴルダック”、“ニョロゾ”、“ミズゴロウ”、“ヌオー”など。窓や入り口からまばらに確認できるが、恐らく街のあらゆる建物に一匹ずついるのだろう。特に何をしているというわけもなく、寝そべっているものもちれば、歩き回って建物を見物しているものもいた。
「ソウリュウ自然公園から連れてきたのさ。住人は消えても警官は彷徨いてたから、あんたらの仲間も街全域を見張ることはできなかったようだな。そこを利用させてもらったぜ」
「小癪な真似を…だが、どうやってそんなところから大量のポケモンを連れてきた?」
 向かって左の男が腹立たしげに尋ねる。
「そんなのはオレのコネがありゃどうってことないさ。それより、こいつらの特性で、建物に爆弾が残っていても爆発することはない。安心して客を逃がすことが出来た。これで…」
 少年はこれから何かを仕掛けるぞ、と言わんばかりに腰に手をかけ、何かを掴む。
「客に被害も出さずにあんたらをぶっ飛ばすことが出来るってわけさ!」
 少年は手に取った物を投げた。赤白のボール。中からは人型をしたポケモンが姿を現す。
「貴様…三人を相手に闘おうというのか?」
 真ん中の男も同様に、腰のベルトに装着されているボールに手を伸ばす。
「貴様の推理、作戦…。餓鬼にしちゃ見事だよ。だが…」
 真ん中がそこまで言うと、両脇の2人も同様に、腰のボールを手に取る。そして少年と同じように、三人同時にそれを放り投げた。
「この劣勢は覆せん!」
 三人のボールからも、ポケモンが三体同時に姿を現す。少年はもちろんこれらの名も知っている。左から“クロバット”、“マニューラ”、“シビルドン”。三体とも、少年の出したポケモンを真っ直ぐ睨み付けている。
「劣勢…?おいおい、そいつは闘ってから言って欲しいもんだな」
 少年は小馬鹿にするように、真ん中の男性の発した言葉を嘲る。
「なら…そうさせてもらおうか!マニューラ、“あくのはどう”!」
「クロバット、“エアカッター”!」
「シビルドン、“10万ボルト”!」
 真ん中の男に続き、両脇の男も自分のポケモンに命令を下す。三体による同時攻撃。命中すれば並のポケモンならひとたまりもない。三人ともそう思い込んでいた。
 しかし、それは本当にただの思い込みでしかなかった。
「…“不意討ち”」
 少年が小声でそう発した瞬間、三体のポケモンは技を出すことなく、ほぼ同時にその場に俯せに倒れた。前を見ると、少年のポケモンは既に少年のところに戻ってきている。
「「「!?」」」
 男たちもさすがに何が起こったのか分からず、その場に呆然と立ち尽くしていた。
「あんたら、運が悪かったなぁ…。一般住民だけなら強行突破できただろうに…

このオレがいたんじゃあな」
 少年の顔に自信が宿った。自分はそれまでの度重なる思わぬ事態によって冷静さを失い、状況判断能力と決断力を一時的に鈍らせていた。しかし、こうなればもうその心配はない。
 そんな彼の表情を見て、それまで闘っていた少年も、先程までとは正反対の優しげな笑みを彼に向けた。
「ギガイアス、狙いは一直線、“ラスターカノン”!」
 そしてギガイアスは、渾身の一撃をアーボックに放つ。もちろんアーボックが避けることはできない。
 そのまま直撃し、アーボックは気絶した。

 その頃、女性の部下たち男3人は早足で自分たちの“目的地”へと向かっていた。先程作戦会議をしていた場所からは多少離れているため、万が一のことも考えて一秒でも早く到着しなければならない。
 そして10分ほど走った後、例の目的地、“ソウリュウ大学図書館”に辿り着いた。
 入り口や窓から中をさっと確認する。人が大勢集まっている気配はない。
「よかった…誰もいないぜ」
「いや、警備員や警察くらいはいるだろ?」
「いたとしても、大人数じゃなけりゃ強行突破しちまえばいいさ。“あの方”の元で訓練を受けた俺達だろ?」
「それもそうだな」
 そんな議論をした後、3人は図書館の入り口へと向かおうとした。
 その時、彼らの安心は粉々に打ち砕かれた。
 
「誰もいなくて、よかったじゃん」
「「「!?」」」
 入り口の脇から姿を現したのは、一人の少年だった。キャップを被り、水色のジャンパーを身に纏っている。
「お前らのお望み通り、客は全員外に逃がしてやったぜ」
 少年は複数の敵を目の前にしても一切物怖じせず、自信に満ちあふれた笑みを見せていた。その姿に、大の大人である三人も多少畏敬の念を覚える。
「な、なぜお前みたいなガキがこんな所に!?一体何をしたんだ!?」
 真ん中の男が少年を指差して問い質す。少年はそれを見て、ふん、と鼻を鳴らし、話をする準備を整えた。
「…まず、あんたらがこれだけ街を破壊していながら、街からは怪我人はほとんど出ていない。死者に至ってはほぼ皆無…。つまり、」
 少年はそれまでより一層目つきを鋭くして三人を真っ直ぐ見つめ、断言した。
「あんたらの目的は大量虐殺じゃなかったってことだ」
「くっ…」
 少年がそう告げると、3人はしまった、とばかりに息を呑んだ。
「そしてこの図書館だけが爆撃に遭ってない理由…それはこの図書館にあんたらの欲しいモンがあるから、攻撃するわけにはいかなかったんだろうな」
「「「…」」」
 男たちは一切反論しない。それどころかますます不安の色が増している。どうやら図星らしい。
「んで…あんたらの欲しがってるのは」
 少年は右手をジャンパーのポケットに突っ込み、一冊の本を取り出す。
「こいつか?」
「!!」
 3人は驚愕の表情を見せ、その場で一歩後退った。計画のみならず、自分たちが狙っていたものまで、何もかもお見通しだったのだから、無理もない。
 本のタイトルは“授命の理 上巻”。一本の大木の絵がプリントされている。
「…まあ、こんだけあちこち爆破してんだから、ここの客も恐怖のあまりに逃げ出すっつー計算だったんだろうけど…ソウリュウ(ここ)のセキュリティ甘く見てもらっちゃ困るぜ」
「じゃあ、爆弾が仕掛けられていないことは…」
 向かって左の男が、恐る恐る尋ねる。
「ああ。もちろん最初からわかってた」
  少年は先程までとは打って変わって間の抜けた声で返事を返す。皮肉のつもりらしい。そのまま彼は真剣な顔に戻り、話を続けた。
「…まあどうせ“無駄な殺戮はしたくない”とかそういう名目だったんだろうが、お前らのことだから客がいたとしても強行突破してるだろ?だから、客を外に出したのさ」
「いつ爆発するかも分からない街に、か?」
 真ん中の男が尋ねる。はじめ少年の話を聞いて驚愕していた彼らも、もう何もかも見通されていると割り切ったのか、徐々に冷静さを取り戻しかけている。
「そう思うんなら、街をよく見てみるんだな」
「何…?」
 男たちは少年に指図されるままに、街の建物を見回した。そこには、数十分前まではなかったものがあった。
「!!」
「これは…」
「まあ、そんなこと今はどうでもいいじゃんか。僕が邪魔なんでしょ。退かしてみなよ」
 少年も同じ事を考えていたのか、楽しげな顔で女性を挑発し出す。
「それもそうね…。あんたたちを倒せば、すぐわかることだしっ!」
 女性は先程のように、いや先程よりも楽しげな表情で二人の少年と対峙する。アーボックも女性のもとへと戻っていき、闘いが始まったときの位置に再び着いた。

「ヌメルゴン、“れいとうビーム”!」
「アーボック!“ヘドロばくだん”!」
 二人の声が重なった直後、二体の攻撃がぶつかり合い、互いを相殺した。発生した煙がやがて消え、お互いの姿が見え始めたが、攻撃は届いておらず二体とも無傷だった。
「…」
 少年は、今度は黙って相手を見つめ始めた。ポケモンに命令を出そうとする気配はない。
(どうしたんだ…?)
 隣で見ている少年も、その様子を見て不安を募らせ始めた。
「あら、何もしないの?なら…“噛み砕く”!」
 女性はチャンスと思ったのか、すかさず攻撃命令をした。アーボックも逆らうことなく、すぐさまヌメルゴンに接近する。
 その時、少年の口元が微かに緩んだのを、隣で見ていたもとの少年は見逃さなかった。狙い通りの結果だったらしい。何が目的だったのか。
「地面に向かって“れいとうビーム”!」
 するとヌメルゴンは、先程と同じ冷気を今度は敵の足下に向けて噴射した。地面は氷付けになり、アーボックは足下を掬われ、その場に倒れた。
「!」
「な…」
 隣の少年にとっても女性にとっても予想外だったらしく、ほぼ同時に口をぽかんと開けてその光景を見た。しかし、闘っている少年の次の言葉によって、隣の少年だけが我に返ることになった。
「…どうしたの?」
「えっ?」
 はっとしたように、声をかけられた少年は隣の少年を見た。
「…僕らわりと優勢だけど、闘いに加わらないの?それとも傷付いたポケモン休ませとく?」
「あ…」
 少年はそう言われてようやく気付く。まだ毒を負って苦しむギガイアスがいる。自分は彼と一緒に闘うことも、ポケモンを気遣って闘いから一度身を退くことも出来る。しかし、自分だけがそれを決められるわけではない。それを決めるのは─。
「ギガイアス、できるか?」
「…!」
 もといた少年が慌てて弁解する。彼も、突然の見知らぬ少年の乱入に少し戸惑っていたようだった。確かに少年はアーボックを攻撃したが、だからといって自分の味方とは断定できない。敵が二人になるのか、あるいは三竦みの闘いになるのか─。
 改めて現れた少年の出で立ちを見た。癖のある黒髪、バンダナ、黒いロングコート。少し怪しげな雰囲気も醸し出している。そして背後には、紫色のポケモンが控えていた。恐らく先程攻撃したのはこいつだろう。
「君は…誰なんだ?」
 もとの少年は現れた少年に問うた。せめて彼が敵なのか、味方なのか、それだけでも知りたかった。「…そんなこと、後で良いじゃん。それより、君今大分ピンチだったように見えるけど」
「あ、ああ…」
 彼の言葉を聞いて、もとの少年の不安は少しずつ安心感へと変わっていった。これから敵にならんとしている者に向かって発する言葉とも思えなかったからだった。
「それに僕…あそこにいるねーちゃんにちょっと用があるからさ」
 現れた少年が、目の前にいる白服の女性を指し示す。
「えっ…あいつに?」
「あたしに…?あたしはあんたのことなんて知らないわよ」
 もとの少年は驚き、女性は怪訝そうな顔をした。面識がないのなら、一体何の用があるというのか。まさかこの少年も、この事件に関与しているのか。
「…あんたが知らなくても、僕はよく覚えてるんだ。その変なマーク」
「えっ…?」
 もとの少年は女性の方を振り返り、女性も自分の右胸を見た。そこには“IC”というロゴマークがプリントされている。
(この人は…何を知ってるんだ?)
 もとの少年は、現れた少年のことが更に気になり出す。敵であれ味方で荒れ、この少年から目を離すわけにはいかない。
「なぁ~るほど。“あいつら”に無様な失敗をさせたボーヤって、君のことだったの」
「…さあね」
 もとの少年は二人の会話の内容がどんどん分からなくなり、混乱し始めた。しかし、そんなことに思考をめぐらしている場合ではないことにすぐ気付く。今、目の前に敵が立ちはだかっている。退けなければならない。
6

 その頃図書館では、ようやく客の抗議の声が治まり始めた頃だった。先程まで見られた、母親の腕の中で泣く子供や、警備員を怒鳴りつける男たちの姿も減り、休憩室で外の安全が確認されるのを待っている。
 しかし一人だけ、休憩室に入ることなく、警備員と話をしている少年がいた。
「いや~。偶然にもあなたのような人がいてくれて助かりましたよ」
 警備員の一人が少年に頭を下げている。
「それはどうでもいいです。それより、警備の皆さんにお願いしたいことがあります」
 少年も警備員の言葉を受け流し、自分の話を進めた。
「はい…。何を?」
 今度は向かって左の警備員が不思議そうな顔で尋ねる。
「ソウリュウ自然公園から、僕が今から言うポケモンを調達していただきたいんです。そうすれば、ここの皆さんを無事外に出すことが出来ます」
「ええっ!?」
「外に…?」
 先ほど尋ねてきた警備員が声を上げて驚く。外の二人もつられて目を丸くした。
「し、しかし…外が完全に落ち着くまで、皆様にここにいていただいた方がよいのでは…?」
 警備員の言うことは一般人からすれば正論だった。外はいつまた建物が爆発して倒壊するかわからないうえに、図書館内には危険物がないと確認されている。ならば、ここがソウリュウシティ内で一番安全だと考えるのが妥当だった。
 しかし、少年だけはそうでないことを知っていた。真剣な顔で彼はこう告げる。
「そうじゃない。この図書館が一番安全なように見えて、実は一番“危険”なんです」

「誰かしら?あたしたちの邪魔をするのは」
 白いユニフォームの女性が、それまで闘っていた少年の背後にいる別の少年に尋ねた。
「…いや、なんか面白そうなことしてるから、混ぜて欲しいなって思ってさ」
 少年が楽しげな表情で答えた。すると女性は、先程までとは180度違った不機嫌そうな表情を見せた。闘いに水を差されて苛立っているらしい。
「面白そう…?馬鹿にしてるの?それとも、君のお友達?助太刀を頼むなんて、随分卑怯な真似するんじゃないの」 
 今度は今まで相手をしていた目の前の少年に問いかけた。
「いや、違う。僕は彼のことは知らない」
「な…」
 女性にとっても予想外の判断だったらしく、先程までの眠そうな顔が一気に目を覚ました。
 アーボックは風で舞い挙げられ、荒れ狂う砂をその身に受けてダメージを受けた。なんとか藻掻いて脱出を試みたようだが、それでも砂は止む気配を見せない。
「あなたのアーボックはなかなか素早い上に賢い。重量感もあり動きも鈍いギガイアスがまともにかかっても捕まりはしない。だから…ギガイアスの近くに来た時が、唯一のチャンスだったんだ」
 少年は自分の策を隠さず女性に告げた。自分の望んだ状況を作り出した今となっては、別段隠す必要もなかった。
「くっ…」
 女性もそれを聞いて、しまった、と言わんばかりに歯を食いしばった。そして、砂の中でもがくアーボックの姿をまっすぐ見つめた。抜け出させる手段を考えているのだろう。
 先程とは真逆の戦況が出来上がった。
「ギガイアスの特性は“砂の力”…。このまま攻撃すれば威力の増大した攻撃をアーボックはまともに受けることになる」
 少年はまだ続けた。これから先の策まで敵に明かすのは、もう自分の勝ちを半ば確信した、そんな自信の現れだった。しかし、その自信は少し行き過ぎていたことを、この後彼は知ることになる。
「でも…攻撃できなきゃ意味はないよね」
 ここで初めて、女性の返答。先程の焦りの色は消え、落ち着いた声色になっている。
「…!?」
 少年もその言葉の意味が分からず、一歩後ずさった。嫌な予感が頭を過ぎる。
「アーボック、砂に向かって“ヘドロ爆弾”」
 女性が淡々とした口調で命令すると、アーボックは砂の中で必死に口から毒物を吐き出す。やがて砂は、毒物の入り交じった紫色の渦となった。
「一体…何を…。…!!」
 少年はその色と、ギガイアスの様子を見て、彼女の目的に気付いた。
「まさか…」
「ふふ。お察しの通り」
 彼女の目的は、砂の中に毒を盛り、それをギガイアスに浴びせること。今やギガイアスは、硫酸の中に放り込まれたようなものだった。これでは苦しさのあまりに技を出すことが出来ない。
「ギ…ギガイアス!!砂を治めるんだ!」
 少年が命令すると、砂嵐はすぐに収まり、中にいたギガイアスもアーボックも解放された。アーボックはすぐに体勢を立て直すことができたが、ギガイアスの方は毒のダメージが大きく、まだ苦しそうな表情は消えていない。
「さあ、速くなんとかしないと、毒が回って取り返しのつかないことになるわよ。それとも、大人しく街から出てくれれば、やめてあげてもいいわ」
「く…」
 少年の悔しそうな表情とは裏腹に、女性は楽しげに笑っている。それもそのはず、今のこの場の支配権は、彼女が握ったも同然なのだから。
 ここで少年が引けばギガイアスは助かる。しかし、引けば彼女たちの好き勝手に動かれ、何らかの計画が進行してしまうかも知れない。どちらに転んでも最悪の結果が待つ分かれ道だった。
 彼はどうすることもできず、その場で俯いて立ち尽くした。
「…出て行ってくれる気はないみたいね。それならそれでいいわ。アーボック、“アイアンテール”」
 するとアーボックは容赦なくその刃を動けないギガイアスに向け、襲いかかった。ここまでか、と、少年も思った。しかし、

「!?」
「な…」

 背後から何者かの攻撃が炸裂し、アーボックを吹き飛ばした。
 しかし、その攻撃は避けられた。女性が何も命じずとも、アーボックは自力で避けてみせたのだった。余程訓練されているのだろう、そう感じられた。
「あら、当たってたら致命傷ね。当たってたらね」
 女性は余裕の笑みで少年を挑発する。もちろんこれに乗っている余裕など少年にはなかった。
(闇雲に打ってもギガイアスを疲労させるだけだな…打開策を見つけなきゃ)
 少年は考えた。動きの鈍いギガイアスが俊敏な相手に攻撃を当てる方法を。しかし、そんな余裕も一瞬だった。
「…あら、悩んでるみたい。じゃあ1発、“アイアンテール”!」
 するとアーボックは一瞬で間合いを詰め、ギガイアスを尻尾で鞭打ちにした。速すぎて動きが見えなかったため、少年は一瞬目を疑う。
(っ!!)
「あら、驚いている場合じゃないよね。オドオドしてる間に…君のポケモンちゃん、どんどん傷付くわよ」
 女性はまた最初の呆れ顔に戻る。少年が焦りきっているのが、顔から疑えたに違いない。今度は彼のトレーナーレベルを見て失望しているのだろう。
「ギ…ギガイアス…」
 彼は傷付き痛がるギガイアスを見てますます不安を募らせた。こいつの重量なら倒れてしまうことはないだろうが、このままではダメージが積もりやがて戦闘不能に追い込まれるのも時間の問題だった。
(落ち着け…僕は仮にも…仮にもイッシュ地方の…)
 彼は目を瞑って自分に言い聞かせた。自分の立場、自分が受けた名誉。
 彼は突然の事態に戸惑い、いつもの冷静な自分を見失っている。それが自分でもよくわかった。はやく、自分を取り戻さなければならない。
 そして、数秒後、地平線の向こう側に、自分の影が薄らと見えた気がした。
(よし!)
 彼はその時、目を見開いた。女性も彼の変化に気付いたらしく、目を大きく開いて少年を見た。
「ギガイアス、“砂嵐”!」
 ギガイアスはようやく聞こえた主の命令を聞いて目を開き、自分の周囲に砂埃を発生させた。やがてそれは渦となり、ギガイアス自身の身を守る壁となった。
 そして、そのすぐ側にいたアーボックも、その砂に巻き込まれることとなった。
「大人の事情を簡単に子供に説明するわけにもいかないわ。さっさと、怪我しないうちに街から出て欲しいの」
 彼女は先程と同じく、呆れたような口調で少年の質問を受け流した。彼の相手をまともにする気はないらしい。少年はここでようやく、胸の奥に抑えていた怒りを露わにし始めた。
「どうしても言わないなら…無理矢理言わせてやる!」
 少年は覚悟を決めて、腰のボールに手を伸ばす。
「あら…。あたしたちもできれば必要以上に怪我人なんて出したくないのよ。でもどうしても、刃向かうなら…相手してあげるしかないわね」
 女性は先程までと同じ調子でそう言うと、右手の指を鳴らした。すると、先程壁を壊した生き物が、彼女の元へと戻ってきた。
「アーボック、やっちゃいましょう」
 アーボックと呼ばれた蛇状の生き物は少年の方をじっと睨み付けている。その眼差しだけで全身が麻痺してしまいそうな、そんな視線だった。
「来い!ギガイアス!」
 少年もそれに応じるように、赤白の球体を投げ、動揺に中から生き物が登場した。藍色の、全身が岩で出来た怪物のような姿をしている。
「あら…いい子連れてるじゃない。久々にやりがいありそう。」
 女性はようやく先程までの退屈そうな表情を一転させ、楽しげに口元を緩めた。ようやく少年の相手をする気になったらしい。そして、少年の方を向いたまま、後ろの男たちに命令した。
「そうそう、あんたたちはいいから、例の場所に向かいなさい」
「あ…Yes!Sister!」
 そして男たちはその場から立ち去った。
 ようやく女性と一対一で勝負をつけられる状況になったのは少年にとって都合が良かったが、同時に男たちが向かった“例の場所”というのも気になる、なんだか複雑な気分だった。しかし、今は目の前の敵から目を背けるわけにはいかない。何かあったらあの年上の少年がなんとかしてくれるかもしれない。そう自分に言い聞かせ、少年は全神経を集中させて目の前の生き物─ギガイアスに命令をした。
「ギガイアス!“ストーンエッジ”!」
 するとギガイアスは前足で地面を鳴らし、地面から尖った岩石が隆起し、目の前の蛇─アーボック─を襲わんとした。
「まず、一番大事な場所から人民を追い出せてないわ。これじゃ街を空っぽにしたって意味ないのよ」
「えっ、まさか…」
 真ん中の男が何かに感づくそぶりをした。他の二人はまだ分からないといった表情で首を傾げ、彼を方を向く。
 もちろん少年にもわからなかった。”一番大事な場所”。それがわかれば、彼らの目的ははっきりするかもしれない。そう期待して、聞き続けた。
 しかし、その期待は叶わぬ事となる。
 女性はそのまま詳細を明かすことなく話を次の段階に移した。
「そして、もう一つ」
「…?」

「ネズミを一匹、街に残したわね」
 そう言って彼女は、懐から手のひらサイズの黒い球体を取り出し、男性たちの背後─つまり、少年のいる方角へ投げた。
 この瞬間、少年は自分の置かれた状況を把握することになった。
「!!」
 ボールから飛び出した身体の長い生き物が、その尻尾で少年の隠れていた壁を襲い、破壊した。
「あっ!」
「誰かいるぞ!」
 崩した壁から舞い上がった埃から、薄らと少年の姿が見えた。男たちもようやく女性の言葉の意味に気付いたらしく、少年の方を指差して叫んだ。少年も突然の襲撃に驚き、後ずさりするしかなかった。
「こんなのに気付かないなんて…あんたたちホントにあたしの部下なの?」
 女性が呆れたように言う。彼女は当たり前のように僕の気配に気付いていたらしい。自分の考えの甘さ、そして敵が一筋縄ではいかない相手であることを少年に感じさせた。
「さて、教えてもらおうかな。なんでこの街に残ってるのかな。避難勧告が出てたはずよね。ちゃんと大人の言うことに従わなくっちゃダメじゃなーい」
 女性は皮肉を込めて少年に真意を尋ねた。しかし少年はその言葉遣いに怒りを向けている余裕も、彼女の質問にまともに回答する気もなかった。彼の言うことは一つ。
「…お前ら、何のために街を破壊したんだ!?」
 少年は出せる限りの殺気を彼女らに向け、尋ねた。もうここまで追い詰められては、引くにも引けない。ならば、もう出来るだけのことをやって散っていくしかなさそうだった。

 彼らは同じユニフォームなどに身を包んではいなかった。スーパーの店員、黒いスーツ、はたまたパン屋の制服など、様々な格好をしている。全部で男性3人。いや、この都市中にまだまだ潜伏しているに違いない。
 少年の予想通り、彼らは街中の店や施設に潜り込み、従業員や社員に成り済まし、着々と本日に至るまでの準備をしていた、と見て間違いなかった。そして各々の施設に爆弾を仕掛け、内部から攻撃を仕掛けていたのだろう。
 しかし、またさらに気になることが一つ。こうして住民の避難は完了し、今やこの街に彼ら以外の人間はほとんどいない。いたとしても、捜査に現れた警官が周辺を彷徨いている程度だろう。
 つまり、今街には人の屍一つ転がっていないのである。慌てて転んだ人のものと思われる血痕が所々に見られる程度だった。大量殺戮を目的としたテロであれば、空襲、あるいは都市中の地下から攻撃するのが手っ取り早いし、そうしていれば今頃街中が屍の山になっていてもおかしくない。
 しかし、現に街は今そうなっていない。つまり、彼らの目的は殺戮ではないのか。先程男たちの会話から「成功した」という旨の言葉も確認できた。つまり、これは今のこの状況を作るための計画だったのか。
 現段階ではまだ確信に至るのは困難そうだった。少年はさらに詳細に彼らの目的を探るため、再び会話に耳を傾ける。
「あんたたち、予想以上の成果を上げたみたいね!」
(!)
 今度は女の声だった。少し高めの、幼さの混じった声。
 よく見ると、今までの三人に加え、背が少し高めの─それでも三人に比べれば低めだが─女性が加わっている。年齢は恐らく21~23といったところ。今度は街の住民の格好をしている様子はなく、怪しげな、露出の多い白い衣装をまとっていた。あの格好で街を歩けば、そうとう目立つだろう。先程から街にいたとは考えにくい。
「Yes!Sister!」
 男たちは声を揃えて敬礼した。どうやら彼女は彼らより上の立場の人間らしい。裏から指揮でも執っていたのだろうか。
 それまでうっすら笑みを浮かべていた彼女だったが、敬礼の直後に表情が若干険しくなり、やがて口を開く。
「…でも、二つほど、重大なミスを犯してるようね」
「えっ!?」
「な、何を…」
 彼女の言葉を聞くと、男たちはそれまでの背筋を伸ばした綺麗な姿勢を崩し、動揺し始めた。その“失敗”というのが何なのか、本人たちも分かっていなかったらしい。どんな失敗なのか、少年も気になって仕方なかった。
 警備員たちも、もう策が尽きたとでも言いたげに、困惑した表情を見せて言葉を止めた。それでも、彼らを足止めするのはやめなかった。確かに今外に出せば、それこそ彼らを危険にさらしてしまう可能性がある。
(くっそ…)
 少年は歯を食いしばる。自分よりも年下の少年を一人で危険な場所に行かせてしまったこと、自分が協力できないこと、そして何より、自分だけがこうして安全な場所にいることを悔やんでいた。ここまで自分を無力に感じたのも久々だった。一体、どうすれば…。
 そこで、少年はあることに気付く。
(ん…?“安全”…?)
 彼はその言葉に妙な違和感を覚える。都市中の建物が爆撃に遭い倒壊しているのに、なぜこの場所が安全なのか。この場所も人が大勢集まる建物の一つ。ならば、襲撃にはもってこいのはずだった。
 もし、本当にこの場所が襲撃対象を免れているのならば、何か、この場所を破壊してはならない理由があるはず。この場所はどんな場所か、少年は再度考えた。そしてー。
(なるほど…爆撃(コレ)をやったのは、あいつらか!)
 一つの仮説が、彼の脳裏を過ぎった。

 外を走っていた少年は、突然の事態に戸惑いながらもようやく一つの手がかりを見つけることが出来た。微かに何者かの話し声が聞こえてきたのだった。外を歩いていた住民の避難は大方終了していたはずだった。なのに、誰かがまだこの場に残って話している。考えられる可能性は二つ。この事件の捜査に当たっている刑事。そしてもう一つはー。
「これでソウリュウ全域は完了したか」
「ああ。もう住民はほぼ全員散ったぜ。これでようやく、ゆっくり“資料”を探せるってわけか」
「まさかこんなにうまくいくとはな」
 少年は彼らに見付からぬよう、恐る恐る建物の裏に隠れ、その会話を盗み聞きした。その内容は、明らかに捜査官のものではない。その事件を計画した黒幕、或いはその協力者のものに間違いない。
 そしてその正体をさらにはっきりさせようと、彼は建物の陰から少しだけ顔を出し、彼らの姿を見た。それを見て、彼の推測は確信へと変わった。
「ああ、頼む。俺は書物を守らなきゃならねぇからすぐには向かえない。悪いな」
 年上の少年も悔やむようにそう言って、年下の少年を見送った。そしてさっそく机の上の本を整理し始める。
(大事にはならないでくれよ…)
 部屋に一人残された少年は、本を片付ける手を止めることなく、ひたすらそう祈り続けた。

 図書館から外に出た少年は、改めて街の惨劇を見て絶望した。建物の大部分は倒壊し、煙を吹き、地上では人々が逃げ惑っており、周囲の人口は着々と減りつつある。今や数分前までの景色の面影など、微塵も感じられなかった。なぜ、この短時間でこのような惨劇が起こったのか。
「一体、どうして…」
 少年はなんとか冷静さを取り戻し、視野を広げようと周囲を振り返る。四方八方が煙の嵐。一斉にこれだけの範囲を、都市の警備をかいくぐった上で外部から襲撃するのは不可能と見えた。そうなれば、残された仮説は一つしかない。
(初めから仕掛けられていたんだな…)
 そう、それぞれの施設・建造物に犯行を行った集団の人間が潜伏していて、念入りな計画の元で実行された、と少年は推測する。そして、その人物たちは今もこの都市内に、街にいるに違いなかった。そして少年は決心をして、その場から走り出す。

 その頃、図書館の中に残った年上の少年も、そこでの混乱状態に対応できずにいた。机の上の本を整理し終え、アタッシュケースにしまい終えると、彼も年下の少年の後を追おうと図書館を後にしようとしたのだった。しかし、想定外の出来事が起きた。
(な…出入り禁止!?)
 自動ドアの前には「出入り禁止」と書かれた看板が立てられており、数人の警備員が並んで扉を塞いでいた。そしてそこに大勢の客が集まり、大声で抗議している。
「おい、ふざけんな!」
「なんで出ちゃいけねえんだよ!」
「あたしたち、死ぬかも知れないのよ!?」
 内容は、このような 罵声ばかりだった。
「皆さん落ち着いて下さい。ただいま館内全域の部屋と機械類を監視カメラ及び我々警備の手で確認しましたが、危険物は発見されませんでした。感知器も反応しておりません。騒ぎが静まるまで、もうしばらくお待ちください!」
 警備員も必死で客の説得を試みるが、誰もそれを聞こうとはしない。むしろ罵声は更に激しさを増していた。
「これが落ち着いていられるかよ!」
「そんなの信用できないわ!見落としてるか、よっぽど高性能な爆弾の可能性だってあるでしょう!?」

5

 その都市ーソウリュウシティは一瞬で大混乱に陥った。道路の車の進行が詰まり、人が街の外部へと走って行く。何も彼らは芸能人を見たわけでも、珍獣を発見したわけでもない。爆撃の脅威から逃げ果せようと必死になっているのだった。
 都市の中心部で一発目が発弾され、それから数分ごとに相次いで西側、東側と都市中を襲い始め、徐々に襲撃範囲を拡張していった。
 これが人為的なものなのか、はたまた事故なのかは誰も知る由も無い。ただただ警察の避難誘導に従い、都市の外部へと走ることしか、市民にはできなかった。
 そんな中、とある大きな建物で動揺している二人の少年たちがいた。
「な、なんだ今の…?」
 先に声を出したのは、相対的に背の低く、外見の若い少年だった。
「爆撃じゃねぇだろうな…」
 年上とみられる少年も動揺を隠せず、窓から外を見た。
「単なる事故ならいいけど…」
 少年がまたしても、自分の嫌な予感がただの妄想であることを祈る。しかし、それも儚い願いに過ぎなかった。
「いや、そうじゃなさそうだぜ」
「えっ…?」
 年上の少年が静かな、しかし何かを確信したような自信に溢れた声で答える。年下も、一瞬意味がわからず動揺した。
「よーく聞いてみな」
 年上がそう指示すると、年下は言われた通り、何も言わずに息を潜めて耳を澄ました。すると、大きさこそ違えど先程聞いたばかりの音が、あらゆる方角から聞こえてきた。
「!!」
 少年はその場で青ざめ、絶望のあまりに数秒間その場から動くことができなかった。
「間違いねぇ。これはテロだな」
 年上が断定する。年下の少年と違い強い動揺は見せていないが、その苦い表情を見る限り、彼にとっても嬉しくない事実なのは間違いない。
「ぼ、僕見てきます!」
 少年がはっとしたように口を開けた。ようやく身体が動くようになった、あるいは何か義務感のようなものによって動かされたらしい。
「なるほど…。これが一昨日奪われそうになったっていう…」
「そうさ。なんとか阻止できたんだが」
「奪おうとしたってことは…もう解析の方法や復活の方法をもう分かってるんでしょうか…?」
 少年はますます表情に懸念の色を込める。できれば予感よ的中しないでくれ。そんな願いが顔から読み取れる。
「さあ、わかんねェな…。もう分かっているのか、あるいは…」
「…」
 少年は男の顔をじっと見つめて彼の答えを待つ。この一瞬が数分にさえ感じられた。
「解析の手段はわからなくても、その手段の”情報源”ってやつを掴んでるかもしれねぇ」
 男はそれまで以上に真剣な顔で、患者に病名を告げる医師のようにはっきりと答えた。それを聞いた少年はの顔はさらに、まさしく患者のように不安で青く染まっていく。
「つまり…まさか“あいつ”!」
 少年はガタッと音を立てて立ち上がった。
「その可能性は十分ある。それを考慮に入れるなら、急いだ方がいいな」
 男はそれまでの真剣な表情は崩さなかったが、少年を急かすように、無意識に早口になっていた。表情は変わらなくとも、事の重大さを知って焦っているのは彼も同じだった。
「…僕、行ってきます!」
「ああ。頼む。俺も行きてえところなんだが、こっちで一刻も早く宝玉の解析を進めなきゃならねぇんだ。悪いな」
「大丈夫です。あいつに何かあってからじゃもう遅い…」
 早口にそう言うと、少年は床に下ろしていた荷物を抱えて扉へと向かった。
「すいません、わざわざありがとうございました。それじゃ…」

 その時だった。

ズシャアアアァァァァン!

「「!?」」

 建物の外で、それも、それほど遠くない場所で、大きな爆音が鳴り響いた。
「入っていいよ」
 声が耳に届いて少年は安心する。そのまま躊躇うことなくドアノブを掴み、ドアを開け、中の人物を確認した。
「よっ!久しぶりだな」
 中に入っていたのは、少年よりも少し年上の少年だった。明るい表情で片手を上げて、入ってきた少年を出迎えた。
「すいません、遅くなっちゃって」
 相手の少年の態度に安心したのか、年下の少年は苦笑いをしながら軽く謝った。
「いや、いいさ。そんなに急ぐことじゃない。それより、例の本、持ってきてくれたか?」
 年上の少年も特に不満などを口にする様子はない。むしろ早く本題の方に移りたい、と態度で示しているようだった。
「もちろんですよ。ちょっと待っててください…」
 そう言って年下の少年は、持ってきたアタッシュケースの鍵を開け、中身を漁り始める。入っていたのは全て書物、特に歴史と化学に関するものが大半を占めている。バーコードのシールは貼っていないので、この図書館の所有物ではないらしい。
「ありました。これです」
 彼が取り出したのは、“授命の理 (上)”と題のついた厚さ二センチほどの本。表紙には四足歩行のポケモンと思わしき生き物のシルエットがプリントされている。少年はタイトルと表紙を確認すると、すぐに両手で男に手渡した。
「わりぃな。」
 男も受け取ってすぐ表紙を確認する。その内容に納得したのか、彼はすぐ目の前の少年に向き直る。
「そんで、下巻はいつ頃届きそうなんだ?」
「明日には持って来れると思います。あいつが今日研究所に向かったんで」
「そうか」
 男は少年の言葉に疑問を持つこともなく、すぐに納得した。“あいつ”というのが誰を指すのか、二人の中では共有できているらしい。
「ええっと……あったあった。絶対載ってると思ったぜ」
 そして男は本をぱらぱらとめくり、三分の二くらいのページを開いた。そこに男の気にかかる情報が見えたらしい。そのページを開いた状態で、彼は目の前の少年に見せる。
「…?」
「これが例の宝玉の内部構造なんだ。正直俺達の今持ってる技術じゃ、こいつを解析する手立てがなくてさ。だからこうしてここまでこの本を持ってきてもらったわけさ」
 男が見せたのは、丸い多面体の形をした宝石と、その断面図のようなもの。多くの管や気管のような形をした複雑な構造が見られた。さらに隣のページにはその解説文が短く簡潔に書かれている。
 考えさせられる、とはどういうことなのか。何か道徳や信条を問われるような、そんな事件だったのだろうか?
 そう考えていると、男は僕に背を向けて歩き出そうとしていた。こんな中途半端に話を終わらせられてしまっては、あまりに後味が悪い。そう思って僕は男を呼び止めようとしたが、彼が、これ以上余計なことを話す気はない、とその背中で語っているように見えたので、声をかけるのをやめることにした。
「じゃあな。イッシュ(ここ)に来たのも何かの縁だと思うぜ」
 そう言って男は片手をあげながらその場を立ち去った。僕はその素性も知らぬ男の背中を見送り、行くべき場所を目指すことを決めた。

 そんなソウリュウシティの街中を走っている、もう一人の少年がいた。進行方向は西。ちょうど歴史館や大学が設置されている方向だった。
 彼は走りながら周囲の視線を集めていた。なぜなら、彼はあまりにも不自然で浮いた格好をしていたからだった。黒いパーカーのフードで顔の上半分を覆い、片手で下半分を隠し、もう片方の手に大きめな金属製のアタッシュケースをぶら下げている。
 警察に呼び止められてもおかしくなさそうな出で立ちだったが、彼としてはこれが正解だった。もし素顔を曝せば、今程度の注目度では済まず、大変な騒ぎになってしまう。彼はそんな立場の人間だった。おかしな噂が立つ前に、この場所を抜けてしまおう。
 そして数分間走った後、彼は目的の場所に辿り着く。
「やっと着いた…」
 彼の目の前には、ソウリュウ大学付属図書館。イッシュでも最古かつ最大規模の図書館だった。新しい書物が入ってくるのも、毎回ここが一番最初と言っても過言ではない。
 入り口に入ると、目の前には上階へと続く大きな階段があった。少年はその階段を上っていき、三階へと到着する。
 三階は自習室階となっている。この図書館は勉強机を並べているのではなく、個人用の勉強部屋まで備えてあるほどの規模だった。そのうちの一つで、ある人物が少年を待っている。待たせるわけにいかない相手だった。
 少年はドアに書かれてる部屋の番号を確認し、ノックをする。自分が間違っていなければ、聞き慣れた声が聞こえてくるはずだった。
 僕は厳しい現実を知って落胆するとともに、先程まで妄想に浸っていた自分を思い出し、顔が熱くなるのを感じた。そんなアニメや映画みたいな話があるわけがない、少し考えればわかることだった。
 僕の口から溜息が出たかと思うと、気付けばそのまま数秒間頭を垂れてしまっていた。男もそんな僕を見て申し訳ないと思ったのか、「あちゃー」という声が微かに聞こえてきた。
「まあでも、実際その日を境目にして、このイッシュ全体の混乱は治まったんだ。その日突然、前日までの騒ぎがまるで夢だったかのように…な。だから、あながち嘘とも言い切れねえんだ」
 男のその言葉が真実なのか、僕を励ますための出任せだったのかはわからなかったが、それまでの失望からは半身ほど抜け出せた気がした。その当時このイッシュがどんな地獄絵図だったのかは知らないが、もしその日に突然平和が訪れるというのは流石に普通ではない。僕は顔を上げて、男の話の続きを聞く体制に戻った。
「…当時、イッシュ(ここ)はどんな場所だったんですか?」
「続きが気になるか?」
 男は得意げな顔で焦らしはじめる。話をまた自分のペースにできる、とでも思っているらしい。しばらくにやにやしながら僕の顔を見ていた。
「…はい」
 僕は素直に返事をした。男にいいように好奇心を弄ばれるのは癪だったが、真実を知る機会を捨てるのは我慢ならなかった。
「…話してやりたいところなんだがな」
 男は顔から笑みを消した。またさっきと同じ気分にさせられるのか、僕はそう思った。
「俺が話しても、感じられるモンも感じられなくなっちまう」
「…えっ?」
 一瞬何を言っているかわからなかった。その後改めて言葉の意味を吟味してみたが、何も変わらない。
「この街の西端に歴史観とソウリュウ大付属の図書館があるの知ってるだろ。そこに言って調べてみるといいさ」
「…どうして、そこじゃないとダメなんですか?」
「真実を知ってみりゃわかるさ。あんたなりにいろいろ考えさせられることがあるはずだぜ。それを、俺みてえな通りすがりのオッサンが喋っちゃ、全部台無しになっちまうよ」
 男は先程とは打って変わり、自虐的な笑みを見せた。

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